特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

『秋田にラスベガスを作る』 -ノンフィクション・イーストベガスの軌跡-

第11章「起業」 1.独立

井崎義治を秋田空港で見送ってから数日後の夕刻、長谷川敦は自動車を運転して国道7号線を北上していた。その日は本荘市(ほんじょうし)で仕事があり、秋田市に戻る途中だった。 本荘市は、秋田県南部を流域とし日本海に注ぐ子吉川(こよしがわ)の河口付近に発展した街であり、秋田市から約40㎞南にある。二つの街を結…

第10章「展開」 4.井崎義治の来訪

1999年、東京は猛暑の夏を迎えていた。7月半ばからは毎日のように真夏日が続いた。 東京都台東区東上野三丁目、上野駅から程近い6階建てのビルに株式会社エース総合研究所のオフィスはあった。ビルの最上階で都市計画コンサルタントとして執務していた主席研究員、井崎義治に一本の電話がかかってきた。 電話を取っ…

第10章「展開」 3.ゆうわタウン創造プランナーズ

雄和町・夢広場21塾ヤング部会が3年間の活動を「雄和町への提言書」に結実させて終息した今、長谷川敦は次の活動の舞台を求めていた。 彼にとってヤング部会はイーストベガス構想実現に向かう道程の一里塚に過ぎなかった。部会員たちが苦労の末に構想を形にした「雄和町への提言書」も、長谷川には「概論」と位置付けら…

第10章「展開」 2.お台場カジノ構想

1999年4月、トトカルチョマッチョマンズと夢広場21塾・ヤング部会が活動を開始してから4回目の春が来た。雄和町は緑一色の風景の中にあった。 雄和町の「夢広場21塾」事業は、ヤング部会、国際交流部会、教育福祉部会の3つの部会から構成されていた。夢広場21塾を主管する雄和町教育委員会は、平成10年度の…

第10章「展開」 1.提言書

トトカルチョマッチョマンズが200人を超える参加者を集め「大捜査線」を成功させたことにより、彼らに対する認知度は一気に高まった。 1998年11月27日付秋田さきがけ新報は、7段に渡るスペースを割いて「大捜査線」を紹介した。イベント冒頭の捜査会議に奈良真扮する流隼人が侵入するシーンや前沢明の妻に扮し…

第9章「企画」 4.大捜査線

11月15日・日曜日の早朝、「大捜査線」実行委員会のメンバーは、秋田市御野場の長谷川の家から数台の車に分乗して、秋田港に隣接するセリオンプラザへ向かった。 空は曇り、晩秋らしく肌寒さを感じる天候だった。 彼らはセリオンプラザに到着すると、多目的ホールに入った。無人のホール内には前日準備した机とイスが…

第9章「企画」 3.事件前夜

長谷川敦は考えていた。 「つまらない秋田を面白く作り変えよう」それがトトカルチョマッチョマンズのコンセプトなら、伊藤敬が考え出した「警察ごっこ」はまさにそのコンセプトを実現するものじゃないか。こんなに面白いゲームならもっと大勢の人を巻き込んで大規模にやるべきだ。それはもう遊びじゃない。俺たちが街に影…

第9章「企画」 2.リアルロールプレイングゲーム

年が変わって1998年、夢広場21塾ヤング部会とトトカルチョマッチョマンズが活動を開始してから3回目の春が巡ってきた。 4月18日、土曜日、長谷川敦は付き合っていた高橋美由紀と結婚した。結婚式は秋田キャッスルホテルで行われ、24歳の新郎新婦はトトカルチョマッチョマンズのメンバーたちの祝福を受けた。結…

第9章「企画」 1.拠点

雄和町・夢広場21塾ヤング部会がラスベガス視察研修に向けて準備を進めている頃、トトカルチョマッチョマンズも、1997年4月の「結成大会」以後に加わったメンバーを含めて新たな活動を始めていた。 長谷川や安田琢らが知事面会制度を利用して寺田知事と会った月の下旬、7月27日にはトトカルチョマッチョマンズは…

第8章「前進」 5.ラスベガスの挑戦

ラスベガス視察研修を遂行し雄和町に帰ってきた夢広場21塾ヤング部会は、視察の成果をまとめるプロセスに取りかかった。出発前に全員で確認したように、雄和町の公金を使ってラスベガスまで行った目的、それは町長に対する「まちづくりのための提言書」を作成するためだ。視察研修以後の部会の活動は、「提言書」の作成に…