特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第10章「展開」 2.お台場カジノ構想

1999年4月、トトカルチョマッチョマンズと夢広場21塾・ヤング部会が活動を開始してから4回目の春が来た。雄和町は緑一色の風景の中にあった。

雄和町の「夢広場21塾」事業は、ヤング部会、国際交流部会、教育福祉部会の3つの部会から構成されていた。夢広場21塾を主管する雄和町教育委員会は、平成10年度の活動に関して、「部会中心の活動が多く、部会での達成感、充実感があっても夢広場21塾全体としての事業実施の印象が薄く感じられ、学習システムの見直しが必要」という総括を行った。結局、「夢広場21塾」事業は平成10年度(1998年度)をもって終了した。
長谷川敦たちのヤング部会も「雄和町への提言書」を成果に3年間に渡る活動を終えた。

日本経済は、バブル崩壊後長く続いた低迷から立ち直る気配を見せていた。
アメリカでのインターネット関連事業の隆盛を中心とした景気高揚が波及し、日本でもネット企業が事業を急拡大させ「IT景気」と呼ばれる経済拡張期を迎えた。街には宇多田ヒカルのデビュー・シングル「オートマチック」が流れていた。

4月11日、東京都知事選挙が行われた。この選挙の結果は、秋田で活動する長谷川敦にも思いがけない影響をもたらした。
都知事選挙では石原慎太郎が舛添要一、鳩山邦夫、明石康、柿澤弘治らを破り初当選した。
前知事・青島幸男の後を襲って東京都知事となった石原は、就任直後から「臨海副都心・お台場地区にカジノを設ける」という構想を唱えた。

背景には「財政」と「臨海副都心の開発」という2つの課題があった。東京都の財政は危機的な状況に直面していた。そして、前知事・青島幸男が鈴木俊一知事時代に計画された臨海副都心地区での「世界都市博覧会」を中止した影響もあって、東京都が臨海副都心に有する賃貸用土地139ヘクタールの約6割が空き地のままになっていた。お台場カジノ構想はこの2つの課題を解決する可能性を秘めていた。

石原慎太郎は折に触れてカジノ設置に積極的な発言を繰り返した。
「競輪、競馬が良くて、なぜカジノがだめなのか。人も集まるし、収益で都もうるおう」
「先入観なしにあらゆることを検討する」
「先進国の都市の中でカジノがないのは、日本の大都市だけ。東京だけでなく、大阪などの他の大都市でもやったらいい」
「国の法律を変えないとできないが、シティーセールスをやるのに大きなファクターとなる」
「お台場は複合的なレジャー・テリトリーになると思う。何も外国に行かなくても地方の人も東京に出てくれば楽しめる」

東京から遠く離れた秋田で、石原都知事の「お台場カジノ構想」を報道で知った長谷川敦は、激しいショックを受けた。彼は、他地域の自治体から「カジノを核にしたまちづくり」という構想が打ち出されることはまったく想定していなかった。無意識のうちに、そういう構想は日本の中で自分だけが考えているものと思い込んでいたのだ。
長谷川はそのニュースを聞いて思った。
「横取りされる」
この3年間、長谷川たちは「イーストベガス構想」の実現に向けて行動してきたが、その構想自体に対して理解を示してくれたのは三浦廣巳などほんの一握りの人たちに過ぎず、多くの大人たちからは「荒唐無稽」、「ホラ話」といった反応しか返ってこなかった。つまり、構想実現の可能性という面から観ると「若者のグループが何か元気なことを言ってるな」というレベルにとどまっていた。
そして何より、長谷川たちは何の権力も持っていなかった。

それに対し、石原慎太郎は桁外れの力を持っていた。石原は日本を代表する政治家であり、その発言は常にマスコミからの注目を集めた。そして、彼が知事を務める東京都は中規模な国家に匹敵する経済力、財政規模を持っていた。東京都が生み出すGDPはオーストラリアやメキシコという国のGDPに並ぶ規模であり、都の財政規模は小国の国家財政を凌駕する大きさだった。
提唱する石原の力から考えると、「お台場カジノ構想」の前で「イーストベガス構想」はちっぽけな存在だった。石原都知事が本当に政策として「構想」を実行したら、長谷川のイーストベガスなど、はじき飛ばされてしまうと思われた。

トトカルチョマッチョマンズのメンバーたちは「お台場カジノ構想」を様々に受け止めた。
安田琢は、イーストベガス構想を「地域振興としてのカジノ」として捉えていた。カジノは強力な集客装置として働くだろう。だから、このカジノ構想を打ち出したのが東京のような大都市であることに違和感を持った。琢は思った。
「東京をこれ以上一人勝ちにしてどうするの。」

ただし、「お台場カジノ構想」は長谷川の構想にネガティブに働いただけではない。
東京都知事という公的な立場にいる石原が「カジノを設置する」という政策を提唱した意味は大きかった。すなわち、これまで単なる荒唐無稽なホラ話としか受け取られなかったイーストベガス構想が、現実性のある政策となり得ることが示されたのだ。
現行法では許されていないカジノも法律を変えることにより設置可能となること、地域外からの人を呼び込む集客装置としてカジノを地域作りに活かすことが出来ること、石原慎太郎の「お台場カジノ構想」はそれを示した。

伊藤敬は「マネされた」と思いながらも、「お台場カジノ構想」のもう一つの側面に気づいていた。彼は思った。
長谷川がしゃべっていたのは突拍子もないことじゃなかったんだな。イーストベガス構想は確かに一つの政策だったんだ。

この時を境に、トトカルチョマッチョマンズメンバーは、合法化の先にあるカジノを巡る地域間競争を意識するようになっていった。