特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第8章「前進」 5.ラスベガスの挑戦

ラスベガス視察研修を遂行し雄和町に帰ってきた夢広場21塾ヤング部会は、視察の成果をまとめるプロセスに取りかかった。出発前に全員で確認したように、雄和町の公金を使ってラスベガスまで行った目的、それは町長に対する「まちづくりのための提言書」を作成するためだ。視察研修以後の部会の活動は、「提言書」の作成に集中した。

それぞれの部会メンバーには担当するテーマが与えられていた。伊藤敬はギャンブル、鈴木美咲は交通・教育などの都市インフラ、渡辺美樹子はホテル経営、石井誠は人口・福祉など、各メンバーは自分の持つテーマからラスベガスという都市を分析し記述する作業を行った。

北国の短い夏は終わり、季節は秋へと移り変わっていった。
そして11月、すでに稲刈りも終わった田んぼにはイネの切り株が並んでいた。渡辺美樹子は、冬も間近に迫ったある日、秋田市内の書店にいた。新刊書のコーナーを眺めていた美樹子の目は、一冊の本に注がれた。
「ラスベガスの挑戦」それが本のタイトルだった。美樹子は本を手に取った。表紙にあった華やかな色彩の写真を見た美樹子は、一目でそれが何の映像か分かった。つい3か月前に自分の足で立っていたラスベガス・ダウンタウンのメインストリートを覆うアーケードの写真だった。写真の中で、そのアーケードをスクリーンにして映像のスペクタクル「フリーモントストリート・エクスペリメンス」が映し出されていた。

サブタイトルには「年間3百億ドルを稼ぎ出す眩惑都市の光と影」の文字があった。著者名は「エース総合研究所・井崎義治」。美樹子は表紙を見ただけでその本の重要性に気づいた。ラスベガス視察の成果として「提言書」をまとめている美樹子たちヤング部会メンバーにとって、その本に書かれている内容は貴重な情報となるはずだった。
美樹子は迷わず「ラスベガスの挑戦」を買って帰り、次のヤング部会に持って行って長谷川敦に渡した。

渡辺美樹子の直感は正しかった。長谷川は本のページをぱらぱらとめくっただけで、これ以上ないタイミングでこの本と出会えた僥倖を感じずにはいられなかった。「ラスベガスの挑戦」は「まちづくり」の観点から観光都市・ラスベガスを解説した本であり、ヤング部会がまさに今、取り組んでいるテーマとぴったり一致するものだった。

第1章と第2章は、ディズニーワールドで知られるフロリダ州オーランドと比較する形で「テーマパーク」としての娯楽産業都市・ラスベガスを記述し、それぞれが固有のテーマを持つ各カジノホテルのマーケティング戦略を説明していた。
そこに取り上げられたストリップ地区のホテルは、サーカス・サーカス、ザ・ミラージュ、トレジャーアイランド、ルクソール、シーザースパレス、フラミンゴ・ヒルトンなど、どれも長谷川たちが視察研修で実際に足を踏み入れ、宿泊し、バフェで食事をし、アトラクションを楽しみ、カジノでささやかな勝負をしたカジノホテルであり、説明されているマーケティング戦略は実感を持って理解することができた。例えば、道行く人が自由に見られる大がかりな火山噴火アトラクションを行うザ・ミラージュは「熱帯のリゾート」をテーマにしており、ターゲット客層はハイローラー(一晩に10万ドル以上使うような高額プレーヤー)であること、サーカス・サーカスはターゲットを「金持ち」から「庶民」に変更し、それに合わせてマーケティング戦略を練り直したことなどが説明されていた。

第3章は、経済効果の面からカジノ産業がラスベガスをいかに潤しているかが説明されていた。例えば、カジノ産業が生み出す雇用と就労人口増加について次のように書かれていた。
「カジノホテルでひとつの雇用が生まれると、カジノホテルに関連する他のサービス業や建設業、製造業、貿易など他の産業においてもうひとつの雇用が創出される。その結果、カジノホテルビジネスを中心とした雇用現場がその周辺産業へと拡大していく。こうして増加の一途をたどってきたクラーク郡の就労人口は、今や65万人を超えるまでになっている。しかも、いまだ衰える気配を見ていない。」

また、この章では1995年においてラスベガスを訪れた観光客は2900万人を超え、この年の来訪者がラスベガス滞在中に使ったお金は約300億ドルに達することが説明されていた。来訪客がラスベガスに落とす金は、ゲーミング収入(カジノビジネスとそれを支援する産業による収入)、コンベンション収入、その他の収入に分けられるが、その中ではコンベンション収入の伸びが最も大きく、10年間で3.2倍に膨れ上がっていた。
また、ラスベガスのあるネバダ州では州歳入の4割をゲーミング・カジノ税がまかない、ネバダ州の税負担額は全米で3番目に低いことが紹介されていた。

第4章はラスベガスと環境の問題に焦点を当て、砂漠上の都市であるラスベガスにおいていかに水を節約する工夫が行われているかが述べられていた。
第5章は、カジノ都市と犯罪の関係について記述していた。ギャンブルには犯罪がついて回るというイメージを持っている人は多いが、実際にはニューヨーク、アトランティックシティ、ロサンゼルス、デトロイト、ラスベガスなどアメリカの10都市を対象とした調査において、ラスベガスの人口千人当たりの犯罪発生率は1993年までの13年間で10都市中唯一、一貫して着実に低下し、1994年において10都市中で下から2番目に低いことが説明されていた。

「ラスベガスの挑戦」の最後の部分、第6章と第7章はラスベガスの歴史について書かれ、19世紀の後半においても砂漠の中のキャラバン隊の休憩地に過ぎなかったラスベガスが、国際観光都市となるまでの経緯が記されていた。その中には、長谷川たちに馴染み深いベンジャミン・“バグジー”・シーゲルの夢を体現したホテル、フラミンゴがいかにラスベガスのその後の方向性を決定したかというストーリーがあった。また、ネバダ州政府がマフィアの影響力が強かったラスベガスから、長い戦いの末にマフィアを排除した過程が詳しく書かれていた。

「ラスベガスの挑戦」を一気に読み終えた長谷川は、ぴったりのタイミングで貴重な情報を自分たちにもたらしてくれた著者に興味を抱いた。奥付によると、著者の井崎義治は、1981年にアメリカ、サンフランシスコ州立大学大学院で修士課程を修了した後、アメリカ各地で地域計画、交通計画、環境アセスメント業務に従事し、1992年より株式会社エース総合研究所研究本部副部長、首席研究員の職にあった。その経歴からは、井崎が都市政策、都市計画の専門家であることが分かる。
「この著者に、自分たちのまちづくり構想についてアドバイスをもらえないだろうか」そう長谷川は思った。

この日までに、長谷川敦と仲間たちはイーストベガス構想を作り上げるための3つの重要な資料を手にしていた。
最初のバイブル「秋田をこう変えよう!」が秋田の現在そして将来の危機的状況を正面から指摘し、現状を変えるためのイーストベガス構想の必要性を裏付けたのに対して、「ギャンブルフィーヴァー」と「ラスベガスの挑戦」は、もっと積極的にカジノを中心とする街づくりの有効性を示すものだった。
「秋田をこう変えよう!」と「ギャンブルフィーヴァー」に加えて、「ラスベガスの挑戦」もヤング部会メンバーの必読書となった。この三冊は長谷川たちがイーストベガス構想を作り上げるうえでの三種の神器だった。