特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第8章「前進」 1.ギャンブルフィーヴァー

夢広場21塾ヤング部会がたどたどしい歩みながら活動を続け、トトカルチョマッチョマンズが地域の中で存在を知られ始めていた頃のこと、長谷川は秋田市内の書店で一冊の本を発見した。それは店頭の平台に積まれた中公新書だった。

長谷川は学生時代からよく中公新書を読んでいて、深緑色のシンプルな装丁には馴染みがあった。しかし、長谷川がその本に目を止めた理由は、慣れ親しんだ装丁にではなくタイトルにあった。その中公新書の表紙には「ギャンブルフィーヴァー」というタイトル、そして「依存症と合法化論争」というサブタイトルが書かれていた。著者は谷岡一郎。初めて目にする名前だった。

タイトルはイーストベガス構想とのつながりを推測させた。長谷川はその本を手に取り表紙をめくった。彼の目は、表紙の裏の文章に釘付けになった。
「ギャンブルは人類史上、実に様々な役割を果たしてきた。日本では現在、公営のもの以外禁じられているが、解禁論・解禁反対論とも活発である。・・・日本のギャンブルの問題点を指摘したうえでカジノ解禁への是非を検討し、世界規模でのギャンブルの趨勢を予測して、その社会的位置付けを検討する。」

これは日本でのカジノ解禁を扱った本だ。それを理解した長谷川は自分の体温が2、3度上昇したように感じた。秋田にラスベガスを作ることを目標とする長谷川の前に、必ず立ち塞がるのが「日本では法律上カジノが禁じられている」という厳然たる事実だった。
長谷川がイーストベガス構想を話した相手は、多くがその事実を盾にとって反論した。その一人、安田琢には「法律問題は排除すべき障害に過ぎない」という論法で押し通したが、その論法に無理があることは自分でももちろん分かっていた。

この本は、現実の問題として日本でのカジノ解禁を取り扱っている。ということはつまり、今、自分は法律という障害を排除する糸口を手にしているのかも知れない。その考えに興奮した長谷川は、すぐさま「ギャンブルフィーヴァー」を持ってレジに向かった。

長谷川はうちに帰り着くと本を開き、むさぼるように読み始めた。
第一章には歴史上ギャンブルがどのような役割を果たしてきたかが書かれ、続く第二章から第四章では、ギャンブルホーリック(ギャンブル依存症)の問題が扱われていた。
第二章と第三章では、人はなぜギャンブル依存症になるのかという問題から始まり、ギャンブルにはまり依存症になっていくパターンを4つの段階に分けて説明し、ギャンブルにはまりやすい性格についての分析がなされていた。
第四章では、アメリカやヨーロッパなどで行われている「ギャンブラーズ・アノニマス」というプログラムを中心に、ギャンブル依存症に対する治療の取り組みが紹介されていた。

そして、第五章に読み進んだ長谷川はショックを受けた。長い間探し続けてきた宝をやっと見つけたような気持ちだった。

「ギャンブル(カジノ)に反対する人々」と題された第五章は、カジノに反対する人たちの論拠と、それに対する著者・谷岡一郎のコメントを中心としていた。
まず、反対派がどのようなグループを内包するかが分析され、ギャンブルそのものを敵対視する宗教団体や消費者団体など「思想的拒否グループ」と、損得勘定の予想に従って自分が損をしそうだから反対するという「功利的拒否グループ」があると述べられていた。

長谷川の興味を惹いたのが、そこに挙げられていたアメリカの禁酒法時代の例だった。次のように記されていた。
「禁酒法時代のアル・カポネなどを見ても判るとおり、モラルを前面に打ち出す宗教グループの主張と、いわゆるギャングの利害は一致するとが多い。人間の本能的ともいえる「必要悪」を禁止することは、闇ビジネスの隆盛に繋がるからである。・・・映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の中で、教会とギャングが率先して禁酒法案を通し、手を取り合わんばかりに喜んでいたシーンが思い出される。」

カジノに反対する人たちの論拠は、次の5つに分類して説明されていた。
(1)犯罪が増える。
カジノの建設は必然的に犯罪を増加させる。特に強盗、売春、麻薬売買などの、俗にストリートクライムと呼ばれる犯罪においては、その増加が顕著であり、それ以外にも犯罪が増加すると思われる。その証拠として、ニュージャージー州のアトランティックシティでは、カジノのスタート後に窃盗などの犯罪が増加している。

(2)暴力団が関与する。
そもそもラスヴェガスはマフィアの巣ではなかったか。映画「ゴッドファーザー」や「バグジー」を観るごとに、我々住民は「ああ、この街が私の住む所でなくて良かった」と胸をなでおろしたものだ。

(3)風紀が乱れる。特に失業者が増え、街がスラム化する。
カジノ法案に賛成させる人たちは、カジノは就業者を増やし、街を活性化させると主張しているようだが、本当のところギャンブルのせいで借金を重ね、職を失う人口の方が多いかもしれない。失業者も街にあふれ、おちおち外を歩けなくなるのは目に見えている。

(4)ギャンブル中毒患者が増え、家庭崩壊につながる。
ギャンブルホーリック(ギャンブル依存症)というのは恐ろしい病気で、家庭崩壊に繋がる可能性たるやアルコールや麻薬の比ではないという。カジノが合法化された地域において、ギャンブルホーリック患者が増加しているのは、厳然たる事実なのである。

(5)勤労意欲が低下する。
そもそも一攫千金であぶく銭を稼ごうなどと考えるのは精神の堕落である。隣人が働かずに大金を手にしているのを見ると、なんとなく仕事がばからしく見えてくるものだ。こうして勤労意欲が失われてゆくと、社会は腐敗してしまうだろう。

これらの反対の論拠に対する著者・谷岡一郎のコメントは、要約すると次のようなものだった。
第一の「犯罪の増加」に関して。
アトランティックシティでの事例については、まず、強盗などの増加率は人口の急増を勘案していないためあまり意味のない数字である。次に人口あたりの犯罪率に関しては、犯罪学者の間では常識であるが、人口が増えると必然的に人口あたりの犯罪率は上昇するものである。ディズニーワールドが建設されたフロリダ州オークランドとの比較においても、アトランティックシティの犯罪増加は何ら特別な意味を持つものではなく、街の発達過程における必然にすぎないことが報告されている。ほかにも、最近の訪問者人口も考慮に入れたデータによると、ラスヴェガスもアトランティックシティも、オークランドをはじめ他の都市よりも低い犯罪発生率を示している。
こうした調査結果を総合的に判断すると、カジノ建設により犯罪が増加するという論拠はどう考えても根拠のある主張とは言えない。

第二の「暴力団の関与」に関して。
1960年代半ばより連邦政府はラスヴェガスからマフィアなどの組織暴力団を閉め出す努力を続けている。その結果、現在においてマフィアを含むギャングの関与はまずなくなったといって差し支えない。ネヴァダ州立大学ラスヴェガス校のトンプソン教授は、著者との個人的な面談において「ラスヴェガスは70年代においてもまだマフィアのコントロールが残っていた。しかし今は完全にクリーンになったと断言できる。」と語っている。
そもそも日本で、ノミ行為と賭博開帳が暴力団の資金源の上位を占めているのはそれらが自由化されていないからである。カジノ合法化が暴力団の関与を増加させるようなことはないのみならず、逆の方向の利点の方が大きいのではないかと考えられる。

第三の「風紀が乱れる。特に失業者が増え、街がスラム化する」に関して。
まず、カジノが失業を増加させているという論はまったくの虚構であって意味がない。アトランティックシティに最初のカジノが登場して以来、カジノのみの仕事に限っても4万8千人の新たな就業者が生まれている。直接カジノに雇われた者だけでなく、1978年からの12年間で建設業などで合計62万人分の新たな職が生まれているのが実情である。表面上失業率が上昇したように見えるのは、職を求めて他の地域から失業者たちが集まってきた結果であって、ギャンブルによる借金のせいなどでは全然ない。

第四の「カジノが合法化された場合、ギャンブルホーリックが増加する」に関して。
カジノが合法化された場合、ギャンブルホーリックが増加するということは、いくつかの報告でも確認されている。それまで潜在的にしか存在していなかった予備軍が、カジノという機会を与えられて顕在化するからである。カジノ合法化を推進する側もこの問題を真摯に考え、対応策を用意しなくてはならない。

最後の「勤労意欲の低下」に関して。
今のところ、ギャンブルやカジノが果たして勤労意欲を低下させるのか、向上させるのかは確証がない。今後の実証研究が待たれる。個人的にはストレス解消や気分転換に役立ち、勤労意欲を向上させている機能を重要視している。

第六章へ読み進んだ長谷川の気持ちはさらに昂ぶった。第六章「ギャンブル解禁論」では、第五章とは反対にギャンブル解禁が必要な理由が述べられていた。それは次の四つだった。

「経済の活性化」
カジノのスタートは、まず、税収の増加をもたらす。さらに、投資と新産業が産出する経済波及効果という別の経済的な側面をもたらす。カジノ内での新たな職に加えて、旅行社、ホテル、警備会社、建設関連業、遊戯用具、タクシーなどさまざまな職の必要性が生まれる。それ以外にも、ステージショーなどのエンターテインメント産業、スポーツ・リクリエーション関連、デパートやショッピングセンターなども必要であり、それらの従業員やその家族が利用する、すべての生活関連産業に波及する。こうした全体の複合的な活性化こそが一番の眼目なのである。

「公平で健全な競争の促進」
要するに現状は公平でも健全な競争でもない。
現在認められている公営ギャンブルは、特定産業のみの保護・育成を目的としている。例えば、競馬が「馬の改良等畜産の振興」を、競輪が「自転車等機械工業、体育等公益事業の振興」を、モーターボート競争が「モーターボート等船舶に関する事業」等をそれぞれ目的としているが、馬の改良や自転車その他は現在において特に振興の必要な産業ではありえない。
競馬など公営ギャンブルの控除率(ギャンブルの賭け金合計のうち運営者が賭ける者に配分せず自ら取得する割合)が一律二十五%なのは、明白な独占カルテルであり、ここには健全な競争の精神など、微塵も見られない。実際、海外のカジノの多くのゲームは控除率が5%以下であり、日本の公営ギャンブルの控除率二十五%という控除率は完全に搾取のレヴェルである。

「ギャンブルの健全化と天下りの廃止」
ギャンブルは組織暴力団の大きな資金源となっている。そもそもギャンブルを禁止するから組織暴力団の資金源になる。また、カジノバーやパチンコは、現金の流れが把握できないがゆえに不正の可能性が生まれる。この問題の根本原因は、カジノが禁止されているがゆえに地下に潜ってしまい、実体が見えなくなることであろう。
各公営競技やその関連法人・団体が、その監督官庁の天下り役人を多数受け入れていることは否定できない事実である。ここにも既得権や利権の甘い汁を吸い合う構図が見て取れる。

「ストレス解消の社会機構として」
ストレスを解消する方法は人それぞれである。ギャンブルをすることは、実社会の生活から自分を切り離し、まったく別の疑似体験をすることができる手段である。しかもほどほどに楽しむための金銭的負担はそれほど多くないので、世の中が不景気の時でも愛好者は多い。
社会の仕組みによって溜まったストレスを解消するのは社会の役目である。そして、社会はできるだけ多くのオプションを提供しなければならない。

そして、最終章となる第七章「世界の動きとギャンブルの未来」の中では、ラスベガスが誰でも楽しめる街に発展を遂げていることが、次のように述べられていた。

「例えば子供たちにはプールやゲームセンターはいうに及ばず、遊園地やテーマパークなども各種そろっていて、何日でも飽きないほどである。またギャンブルをしない家族には、超高級ショッピングセンターやデパート、また、ラスヴェガス以外では観ることのできないショーや有名人のステージなどがある。むろんエステティックやスパ、テニスコート、ゴルフコースなども各所にある。特に一九九三年以降の大建設ブームはすべて、人々をトータルに楽しませることを目的とした方向にあった、といっても過言ではない。ラスヴェガスは食事やホテル代は他の大都市に比べかなり安めに設定されているのも魅力である。これはホテルのカジノで遊んでもらいたいがための施策であるが、この経済性と、ホテルの収容能力が物をいってコンヴェンションシティとしても世界有数である。・・・ラスヴェガスは、・・・ギャンブル好きの人間のみではなく、すべての家族や団体を対象とし、そして各性別、各年齢層の快適さと楽しさを追求した結果としての都市なのである。」

「ギャンブルフィーヴァー」第七章は次のような記述で終わっていた。
「世界中のその他の地域(アメリカ、日本以外の地域)では、特にリゾート地を中心としてカジノ建設が進むだろうと思われる。すでにカジノはアミューズメントの一部であることを察知しているからである。・・・カジノギャンブルは世界中で新時代を迎えているのである。」

「ギャンブルフィーヴァー」を一気に読み終えた長谷川は、この本を発見できた幸運を噛みしめていた。奥付によると著者の谷岡一郎は大阪商業大学の教授であり、専攻は「犯罪学、ギャンブル社会学、社会調査方法論」と記されている。つまり、この本は専門家としての立場からギャンブルと社会の関係、日本におけるカジノ解禁の是非を論考した本なのだ。

夢広場21塾ヤング部会をスタートさせて以来、彼は「ラスベガスを手本にした街づくり」を考えるうえで参考になる資料、本をずっと探してきた。「秋田をこう変えよう!」という本は、秋田の現状そして未来を把握するためになくてはならない本だったが、ラスベガスやカジノを正面から取り上げた本は、書店や図書館に行って探しても見つからず、ネットで検索しても皆無だった。

「ギャンブルフィーヴァー」こそ、探していたものだった。
ラスベガスを手本にした街づくりを説く長谷川にいつも突きつけられる反対論、その論拠を明らかにしたうえで理論的に反論を加え、さらに積極的に日本でカジノを解禁すべき理由を説得力を持って述べていた。
そして、ラスベガスがカジノだけの街ではなく、ショー、ショッピング、スポーツなどあらゆる楽しさを提供することで老若男女すべての来訪客をもてなす都市であることが説明されていた。

自分が考えていたことは正しかった。この本はそれを証明してくれている。
長谷川は飛び上がりたいような気持ちだった。
長谷川は「ギャンブルフィーヴァー」を、夢広場21塾ヤング部会の必読書に加え、ヤング部会に参加していない安田琢や奈良真にも読むように話した。