特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第5章「集団」 3.レディースフォーラム

その年、秋田の夏は例年より涼しかった。アメリカでは7月下旬から8月上旬にかけてアトランタオリンピックが開催され、日本選手団が獲得したメダルは金3、銀6、銅5とやや低調だったものの、男子サッカーでは予選リーグでブラジルを1-0で破り、「マイアミの奇跡」と呼ばれた。

夢広場21塾ヤング部会、トトカルチョマッチョマンズとも、活動を続けていた。
7月、雄和町主催の「第14回雄物川筏下り大会」が行われた。この大会は、参加者が筏を自作し、その筏で雄物川の雄和町から秋田市までの約20㎞を下るというイベントである。トトカルチョマッチョマンズは、自分たちで筏を作ってこの大会に参加した。

8月、夢広場21塾ヤング部会は、社会教育課・浦山の発案で成人式を機会に新成人に対するアンケート調査を実施した。雪国の秋田県では雪が多い1月の成人の日を避けて、首都圏などからの帰省者が多いお盆の時期に成人式を行う市町村が多い。雄和町でも成人式は8月に行われていた。
アンケートは、「雄和町を好きですか」、「雄和町に住んでいますか」、「一生涯雄和町に住んでいたいと思いますか」など10の質問を設定して、新成人に生活の場としての雄和町に対する意識を尋ねるものだった。
ヤング部会は、このアンケートで対象の新成人185人のうち37人から回答を得た。回答数は37に過ぎなかったが、集計を手作業で行ったため部会員たちはその作業にかなり難儀をすることになった。

やがて夏が終わり、雄和町に秋が訪れた。空は澄んで高くなり、田んぼのイネは金色に実り収穫の時期を迎えていた。

その頃、トトカルチョマッチョマンズにイベントを企画する話が持ち込まれた。雄和町・社会教育課の浦山からの依頼だった。
このイベントは平成八年度・県女性集会「レディースフォーラム’90 in Yuwa」と名付けられ、主催が秋田県連合青年会と雄和町教育委員会、そして雄和町実行委員長が浦山勇人であった。浦山は長谷川に、レディースフォーラムの中のパーティー部分の企画、運営をトトカルチョマッチョマンズにやって欲しいと頼んだ。浦山はヤング部会のメンバーを通して、トトカルチョマッチョマンズが自分たちの企画で色々なイベントを行っていることを知っており、その力を今回のイベントで活かすことを思いついたのだ。

長谷川はこれを外部にイーストベガス構想をアピールする機会と捉えた。それまで、トトカルチョマッチョマンズはもっぱら自分たちが楽しむためのイベントを実行して来たが、自分たち以外の参加者を対象とするイベントを実施するのはこれが初めてだった。

レディースフォーラムは、「幸せの条件~あなたは今幸せですか~」をテーマとし、女性の地位向上や女性として輝くためのステップアップの契機となることを目的にしていた。「レディースフォーラム」とは言うものの、参加者としては20代から30代の男女50人程度を見込み、お見合いパーティー的な要素も含んでいた。
会場は雄和町農村環境改善センター、開催日は11月30日(土)から12月1日(日)にかけての2日間だった。この2日の間に講演や交流パーティー、分科会などを行うことになっていたが、交流パーティーは1日目の17時~21時半に予定された。トトカルチョマッチョマンズには、パーティーで行うアトラクションの企画だけでなく、パーティーの料理の準備も任された。

トトカルチョマッチョマンズの仲間で、こういうイベントの仕切り役と言えば伊藤敬だった。彼らは敬を中心にパーティーの企画を練った。敬は、まず始めにパーティー部分のネーミングを考えた。彼は、このイベントが12月にかかることからクリスマスを意識して「サンタが来るまでトトカルチョ」という名前にした。

料理に関しては、渡辺美樹子や高橋美由紀、鈴木美咲、加藤のり子ら女性陣が中心となって考え、準備をした。
彼女らは考えた末、基本的に鍋でいくことにした。プロでもない彼女らがイベント当日に50人分の料理を作るのはどう考えても無理だった。その点、鍋ならば、各テーブルにカセットコンロと食材を準備すれば、後は参加者たちに調理させることが出来る。開催日は11月末であり、温かい鍋料理は季節的にもふさわしい。また、お見合いパーティー的な要素への対応に関しても、参加する男女が一緒に鍋を作ったり、各自の食器に取り分けたりすることで親しくなるにはもってこいの料理と考えられた。
ただし、鍋だけでは寂しいと考え、クリスマスらしくチキンの唐揚げも加えることにした。

アトラクションに関しては、敬や石井誠、長谷川たちが中心になって考え、最終的には5つのゲームを企画した。
例えば「トイレットペーパー早巻き対決」。これは文字通り、一本の棒に数個のトイレットペーパーを取り付け、早く最後まで巻き取ったチームが勝ちという、極度に単純なゲームである。ただし、時としてルールの単純なゲームほど白熱する場合もある。敬は経験上そう考えていた。
反対に、敬らしく凝ったゲームが「記憶テスト」だった。このゲームはサラダ館を舞台にビデオのロケ撮影を行うことから準備が始まった。彼らは、ビデオで大勢の客がサラダ館に入っていき、口々にいろいろな飲み物を注文する光景を撮影した。パーティー当日は、参加者にこのビデオを見せ、客たちの注文をどれだけ覚えているか記憶力を競うというゲームだった。

こうしてトトカルチョマッチョマンズのメンバーたちは、パーティーの準備を進めたが、その工程は大幅に遅れた。時間的に余裕を持って準備しているつもりだったが、自分たち以外の参加者を楽しませるイベントは初めてであり、しかも参加人数が50人と多いことから準備時間は予想外に膨らみ、結局、イベント前夜はメンバー全員が徹夜に近い状態での作業を強いられた。

こうして彼らは、レディースフォーラムが始まる11月30日の17時半を迎えた。この頃、女性陣は改善センターの調理室で鍋に入れる食材や、チキン唐揚げの準備をしていた。
そして19時、交流パーティー「サンタが来るまでトトカルチョ」が始まった。口火を切ったのは、長谷川敦の発声による乾杯だった。長谷川は乾杯のあいさつとして自分たちが秋田にラスベガスを手本にしたまちづくりを計画していることを話し、応援を求めた。

パーティーの司会は、伊藤敬と斎藤美奈子が務めた。
チキンの唐揚げに予想外の時間がかかり料理がテーブルに運ばれるのが遅れたが、パーティーはほぼ予定のスケジュールに沿って進行し、5つのゲームも順調に消化して21時半のパーティー終了までこぎ着けることができた。
企画の中心となった伊藤敬が一番恐れていたことは、パーティーが全く盛り上がらず会場が静まりかえる状況だった。しかし、幸いにもノリの良い参加者が多く、パーティー会場はしばしば大きな笑い声に包まれて期待した以上の盛り上がりを見せた。

トトカルチョマッチョマンズのメンバーは、食事やゲームの後片付けをしながら1つの企画をやり遂げた充実感を味わっていた。実行委員長の浦山が長谷川たちの所へやってきた。その表情からトトカルチョマッチョマンズの働きを喜んでいることが分かった。浦山は言った。
「お前達、すごいな。」
メンバーたちは、前日ほとんど寝ずに準備したことも含めてイベント実行に向けて頑張ってきたことが報われたように感じた。