特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第11章「起業」 5.ウェブ選挙

それは遣流山視察団が東京へ出発する前日、5月25日深夜だった。トトカルチョマッチョマンズのメンバーたちに長谷川敦から一通の長文メールが届いた。
メール冒頭には次の言葉があった。
「ビビッと来たぜ!」
長谷川の頭にビビッと来たもの、それは近く予定されている衆議院選挙にトトカルチョマッチョマンズとして関与するアイデアだった。

2000年4月2日、内閣総理大臣の小渕恵三が脳梗塞で倒れ、4月5日には小渕内閣の後を襲って森喜朗内閣が成立していた。ただし、この内閣の存続は短期間とみられていた。前回の第41回衆議院選挙が実施されたのは1996年10月20日。衆議院議員の任期は4年なので2000年9月までには衆議院選挙を行う必要がある。さらに、2000年5月11日に参議院議員の馳浩、塩崎恭久、平田耕一が衆議院に鞍替えするため議員を辞職し、その補欠選挙が6月25日に予定されていた。
この6月25日に参議院補欠選挙と同時に第42回衆議院選挙が行われるだろうというのが衆目の一致するところだった。そこから逆算し森内閣による衆議院解散は6月2日と予想されていた。

トトカルチョマッチョマンズのメンバーに向けたメールで長谷川は続けた。
「選挙に参加する最高の方法!
4年に1回の衆議院選挙!
イーストベガス構想を進めるにあたって、議員選びは避けては通れないところ。
じゃあどうするか!」

長谷川が提示した答えは「ウェブ選挙」だった。
すなわち、秋田県内から出馬する全候補者に文書を送る。内容はイーストベガス構想のレポート、そしてアンケート。アンケートでは、トトカルチョマッチョマンズやイーストベガス構想をどう思うかということ、秋田の若者に熱く訴えたいことを回答してもらう。そして、候補者の回答内容をトトカルチョマッチョマンズのホームページで公開する。

選挙公示と同時にホームページをリニューアルし、選挙コンテンツを短期間だけ作る。各候補者の名前から候補者のアンケート回答にリンクする。そして、選挙に関する討論を行うBBS(ウェブ掲示版)を設置する。しかもアンケート回答を見たうえで、ダービー形式で各候補者に投票できるようにCGI(ウェブ上に掲示板やアンケートフォームを設置するプログラム)を組む。

「そうすればどうなる?」
長谷川はメンバーたちに問いかけた。
「このホームページは全国初の企画で面白いからガンガンアクセスが上がる!
一日1千ヒットなんて夢じゃないぜ。マジで。
政治家は自分の順位が出るもんだから毎日何回もアクセスしてチェックしてくる。
有権者は興味もあるし、政治家の生の声がウェブで聞けるし、BBSで議論を白熱させることもできる。
俺たちにとっては、まず全候補者がどう考えているのか手に取るように分かる。
そして、イーストベガス実現のために誰をどういう形で動かしていけばいいのかも分かる。何より、秋田の一番見て欲しい人たち、若者と有力者に毎日ホームページを見られて、イヤでもトトカルチョマッチョマンズの存在、イーストベガスの考え方や大捜査線の考え方とか、伝えたいことをすっげー短期間でかなりの人数に伝えることができる。
おいおい、こんなことってありか?ありか?ありか?
しかも、秋田のみならず日本の社会にでっけー波紋を投げかけることができる!」

長谷川は自分のアイデアに高ぶっていた。彼はたたみかけた。
「選挙後の新聞の講評に、『結果として今回の選挙を大きく左右したのはトトカルチョマッチョマンズという若者グループの企画が投票率を大きく向上させたことだ。まさかこんかなことが起こるなんて・・・。イーストベガスは本当にできるかもしれない。彼らは間違いなく今回の選挙で世の中を変えた。』なんて載ったらどうするよ、おい。
今の選挙システムは、自分の意思と関係ないところで動いているから、誰も興味わかない。こんなんで日本も秋田も変われる訳ない。
だから、選挙のやり方を有権者サイドが変える!
トトカルョがインターネットで変える!」

彼は、イーストベガス構想を実現するには政治の力が必要だと認識していた。雄和町長の伊藤憲一は、イーストベガス構想を町の発展計画に組み入れると言ってくれたが、雄和町だけで構想が目指す街づくりを実現することはできない。秋田県も、さらには国も動いてくれなければイーストベガス構想は夢物語のままで終わるだろう。何しろ、カジノ合法化もまだいつになるか分からないのだ。自分たちが思い描く街をこの秋田に建設するには、政治家が構想を理解し、支持し、実現のために働いてくれることが不可欠だ。

その政治家たちを動かすには有権者の力がいる。特に、自分たちの考えを理解してくれ、仲間になってくれる若者たちの力が。そのためには若者にもっと政治に興味を持ってもらわないと何も進まない。そして、若者が政治に影響力を持っていることを示したい。
まさに今、衆議院選挙が行われようとしている。この機会を逃がす手はない。
4年に一度のチャンスを活かす方法がインターネットを使ったウェブ選挙だった。彼の会社、トラパンツはホームページ制作のITスキルを持っていた。

長谷川と奈良がお台場視察から秋田に戻った5月末、衆議院選挙はもう目前に迫っていた。予想される公示日までわずか2週間。二人は即座にウェブ選挙に向かって動き始めた。創業したばかりのトラパンツの業務は一時棚上げ状態となった。

ウェブを使って選挙に参加するというアイデアに興奮しながらも、長谷川には懸念があった。政治家たちからみたら自分たちは名もなく力もない若造に過ぎない。どの陣営も選挙準備に忙殺されているはずた。そんな時に若者と政治について質問を送っても、はたして回答してくれるだろうか。まったく相手にされず肩すかしを食らったらウェブ選挙の中心部分が抜け落ちることになる。

一つの解決策がひらめいた。
マスコミの力を使おう!新聞、テレビにウェブ選挙のことを取り上げさせ社会の注目を集めることで候補者たちにアンケートを無視できない状況を作ろう。

それは可能だと思われた。3月の雄和町長へのプレゼン以来、長谷川たちはことあるごとに県庁内の記者クラブを訪れトトカルチョマッチョマンズの活動をアピールしてきた。各報道媒体のデスクと呼ばれる年代は別だが、若手記者たちとは結構親しくなっている。一緒に飲むこともあったし、記事のネタがない時に向こうから「なんかニュースない?」と聞かれることもあった。長谷川は報道機関に提出するニュース・リリース作りに取りかかった。

6月1日の夕方、長谷川は報道機関各位に宛ての「報道依頼文」を携え県庁記者クラブを訪ね顔なじみの記者たちを回った。
そのA4板1枚の文書は「私たちは秋田を面白く変えたい若者たちです」という自己紹介に続き、ウェブ選挙の狙いを「センキョを変えよう!新しいスタイルのセンキョを!」という見出しで述べていた。

「センキョでは若者が無視され続けてきました。立候補者と若い世代との乖離。しかし、私たちは、未来を担う若者の意見が反映されてこそ、はじめて未来のある、夢のある政治ができるものと考えます。
そこで、トトカルチョマッチョマンズは今回の選挙で、立候補者と有権者(特に若い世代)の遠く離れていた距離を埋める「インターフェイス」となるべく、企画をたて、行動を開始することに決めました。
従来型のセンキョのスタイルではなく、立候補者と立候補者、立候補者と有権者、有権者と有権者、それぞれが自らの主義・主張をぶつけ合い、評価し、そして投票するという、本来のセンキョの姿を取り戻すべく、新しい選挙のスタイルを創造します!」

そして、「トトカルチョ的Webセンキョ」の見出しで具体的な企画内容を説明していた。
「① 全立候補者にいくつかのテーマを含んだ『質問状』を出し、回収します。
② それをトトカルチョマッチョマンズのホームページ上で公開します。
③ ホームページ上の電子掲示板を利用して自由な議論を交わします。
④ 自分の意見に合った候補にホームページ上で仮投票できるようにします。
秋田を良くするためにこの企画を考えました。もちろん、私たちはどこにもまったく所属していない中立の若者集団です。どうかこの企画に興味をもって頂き、是非、取り上げて頂きたく思います。」

このウェブ選挙はまだ企画段階にあり実現する保証はなかったのに、選挙を前に新しいニュースを捜していた記者たちの関心にヒットしたのか報道依頼文に対する食いつきは良かった。特に反応が早かったのが朝日新聞で、トラパンツに戻った長谷川を追いかけるように「翌日朝刊の秋田版で書く」という電話が入った。

2000年6月2日の朝日新聞秋田版「総選挙2000」のコーナーには前日の連絡通り記事が載った。
見出しは「HPで『公開討論会』候補者へ質問状、回答はネットに、秋田の20代グループ」。
記事本文では、長谷川がリリースしたウェブ選挙の内容をトトカルチョマッチョマンズの紹介を含め詳しく説明していた。
「秋田の二十代のグループがインターネット上で『公開討論会』を開く。政治に無関心だったり、疎外感を感じている世代にネット上で立候補予定者と対話してもらい、互いの距離を縮めてもらう試みだ。」
「長谷川代表は『親に頼まれたからとか、会社の指示だからとか、仕方なく投票するという選挙のやり方を崩したい』と言っている。」

同じ6月2日、国会では森首相のいわゆる「神の国発言」が政教分離原則に反すると問題視した野党が内閣不信任決議案を提出。これに対して森喜朗は衆議院を解散し、政界は6月13日の選挙公示、6月25日の衆議院選挙に向けて走り出した。
ウェブ選挙の準備は時間との競争になった。奈良はBBSや投票フォームをウェブ上に設置するプログラム・CGIに取り組み、長谷川は候補者への質問状作りとマスコミ対応を担当した。二人はトラパンツに泊まり込み作業を続けた。

6月4日、河北新報が朝日新聞に続き秋田版に記事を掲載した。
見出しは「インターネットで討論を、若者グループ公示控え企画、候補者の主張に意見」。
ウェブ選挙を記事に取り上げた朝日新聞、河北新報ともウェブ選挙と公職選挙法との関係に言及し、自治省選挙課や秋田県選挙管理委員会の見解を載せていた。

当時、インターネットと選挙の関係はデリケートな問題を抱えていた。
マイクロソフトのウィンドウズ95が発売されてから数年、一般パソコンユーザーの間でインターネットを使ったホームページ閲覧や電子メール送受信が広まっていたが、日本における政治とインターネット、特に選挙運動とインターネットの関係は制度的に放置されたままであった。

アメリカでは、選挙運動に関する規制は個人献金の上限金額など資金面に関するものであり、選挙運動の方法を制限する規定はない。したがって、インターネットを利用する選挙運動も原則として自由に行うことができ、実際に1990年代初頭から電子メール等を利用する選挙運動が行われていた。それとの比較から、日本でもインターネットを利用する選挙運動を解禁すべきという意見が出されていた。しかし、公職選挙法上はインターネットを利用した選挙運動は行うことができないという見方が一般的だった。

1996年、新党さきがけは自治省に対し「インターネット上のホームページの開設と公職選挙法との関係」について質問を行った。この質問に対する自治省の回答の中で、インターネットのホームページは、公職選挙法の「文書図画」に当たるという解釈が示された。日本では、アメリカと違って選挙運動の方法に関して細かな規制がかけられており、選挙運動に用いることのできる「文書図画」はポスターやビラなど公職選挙法が定めたものだけに限られている。

したがって、インターネット上のホームページが「文書図画」に当たるという解釈は、ホームページは公職選挙法が選挙運動に利用可能と定めているもの以外の「文書図画」であり、それを選挙運動に使うと同法に抵触するということを意味していた。

翌1997年の5月には超党派の国会議員によりインターネットによる選挙運動の実現を目指す「インターネット政治研究会」の会合が開かれた。しかし、2000年に至るまでインターネットを利用した選挙運動解禁につながる法律的、制度的な対応がとられることはなく、選挙期間中は候補者のホームページの更新や有権者への電子メール配信が停止されるのが通例となっていた。

トトカルチョマッチョマンズが実行しようとしているウェブ選挙は、若者たちに政治に関心を持ってもらうため、自分たちの構想を前進させるためのものだ。それが選挙違反になっては元も子もない。メンバー間でいろんな意見が出たが、候補者への質問内容の面で選挙違反とならない線引きを確認するためにも、選挙管理委員会に相談に行こうということになった。

長谷川は進藤岳史に声をかけ、一緒に県庁内にある秋田県選挙管理委員会に足を運んだ。進藤は夜間のデルワナワンガー営業時間を除くと比較的時間が自由に使える立場だった。選管の事務室に入ると、職員たちは選挙を目の前に控えて見るからに忙しそうだった。長谷川は迷惑がられることを覚悟の上で近くにいた職員をつかまえ、用件を切り出した。

前例のない相談にとまどっている様子は明かだったが、その職員は、思いのほかていねいに対応してくれた。長谷川はウェブ選挙で計画していること、つまり、候補者へのアンケート発送とその回答内容の公表、BBS(ウェブ掲示版)での選挙に関する意見交換、ウェブ上での投票とその結果公表などを説明した。

一番問題となりそうなのはウェブ上での投票とその結果発表だった。それは選挙違反の類型の一つ「人気投票の公表」に当たる可能性が大きかった。

ただし、それを除けば行けそうな感触を得られた。「選挙運動」とは特定の候補者への投票を呼びかける行為である。逆に言えば、特定候補者への投票を呼びかけなければ選挙運動にならず、選挙運動でなければインターネットを使おうと選挙違反にならない。
残る問題はBBS(ウェブ掲示版)だった。BBSには何が書かれるか分からない。誰かに「特定候補者への投票の呼びかけ」や「特定候補者に対する誹謗中傷」を書き込まれれば即アウトとなりかねない。

結局、ウェブ上での投票とBBSへの書き込みをどうするかは後で考えることにした。
「これからも相談に乗ってもらっていいですか。」
長谷川と進藤は今後の協力も取り付け、選管事務所を辞した。

6月7日、読売新聞秋田版に記事が載った。
「HPで公開医討論を、20代のグループ『従来型選挙変えたい』」
同日、長谷川はトトカルチョマッチョマンズ事務局名で秋田県内の小選挙区からの出馬を予定している候補者12名に宛て文書を送付した。

秋田県には1区から3区までの小選挙区があり、各区とも4人が立候補を予定していた。
各区の立候補予定者は、秋田市を大票田とする県中央の1区が、二田孝治(自民前)、佐藤敬夫(民主前)、今川和信(共産新)、船川克夫(自由新)、県北の2区が、野呂田芳成(自民前)、畠山健治郎(社民前)、菊地時子(共産新)、工藤富裕(自由新)、県南の3区が、村岡兼造(自民前)、中島達郎(民主新)、笹山登生(自由前)、和賀正雄(共産新)だった。

候補者への送付文書の内容は、「書類送付のご案内」、トトカルチョマッチョマンズのプロフィール、イーストベガス構想、アンケート、返信用封筒などである。マスコミ報道をてこに候補者たちにアンケートへ回答するようプレッシャーをかけるという狙いの通り、新聞に載ったウェブ選挙の記事コピーも入れた。

長谷川は「書類送付のご案内」の中で、候補者に対し依頼した。
「今回は若者の政治=選挙への参加を促すべく、また、若者のためにふさわしい代表者を選ぶべく、全ての立候補者に、秋田の若者の代表を自負する私たちの街づくり構想であるドリームプロジェクト「イーストベガス構想」をぶつけ、さらに、アンケートという形で、全ての立候補者から政策やビジョンに関する回答を得ようと試みることにしました。どうか、じっくり読んで考え、回答していただけるようお願いいたします。
なお、回答はなるべく6月13日まで届くよう、返送していただけますようお願いいたします。」

アンケートは一部と二部に分かれ、次の項目からなっていた。
一部 秋田の若者へのメッセージ
①若年層の政治離れについてどうお考えですか?
②現状、あなたは若年層と交流する機会をもっていますか? どういう手段でどんな形でその機会をもっていますか?
③秋田県の人口流出(特に若年層)について、原因は何だと思いますか? その解決策は?
④「秋田には魅力がない、遊ぶ場所がない」といった意見に対してどう思いますか?
⑤あなたは秋田に住む若者に対して何を求めていますか? また、あなたは秋田に住む若者のために何ができますか?
⑥今回の選挙であなたが訴えたいことを自由に、かつ具体的に主張してください。
⑦25年後、秋田をどう変えますか? あなたのビジョン・未来像を具体的に教えてください。

二部 「トトカルチョマッチョマンズ」、及び「イーストベガス構想」について
①「トトカルチョマッチョマンズ」の存在および活動(今回も含め)について、あなたの感じるところを聞かせてください。
②「イーストベガス構想」について、あなたの率直な意見を聞かせてください。
③「イーストベガス構想」に賛同する場合、選挙後、「イーストベガス構想」について国会議員としてどのような活動ができると約束できますか?

この時、奈良真はBBSとウェブ投票のシステム作りにかかり切りだった。CGI構築はほとんど経験がなかったものの、公示日6月13日のアップを目指し睡眠時間を削って作業を続けていた。トトカルチョマッチョマンズのホームページに設置する選挙コンテンツの正式名称は、メンバーの意見を集めて検討した結果、「カキコ@選挙」に決まった。ウェブ投票が公職選挙法に抵触しかねないという問題に関しては、投票結果の公表を現実の選挙終了後に延ばすことで対応することにした。

一方、長谷川はマスコミ対応に追われていた。6月1日に記者クラブで報道依頼文を配布して以来、報道機関からの電話がひっきりなしにかかってきた。新聞社だけでなく地元のテレビ局もウェブ選挙に関心を示した。
6月8日には、ABS秋田放送が、6月12日にはAAB秋田朝日放送が、夕方のローカルニュース枠でウェブ選挙に関する長谷川敦のインタビューを放送した。

6月13日、衆議院選挙が公示され、正式に選挙戦がスタートした。
この日、奈良は徹夜を続けて作成した「カキコ@選挙」をトトカルチョマッチョマンズのホームページ内にアップした。ただし、ウェブ投票のシステムはこの日に間に合わず、2日後の6月15日夕方からの稼働となった。

候補者に送ったアンケートは、6月10日に3区の中島達郎候補から回答が届いたのを皮切りに回答受領が相次ぎ、依頼していた13日までに2区の野呂田芳成候補と3区の村岡兼造候補を除く10候補者からの回答が揃った。これらの回答のうち「1部 秋田の若者へのメッセージ」の部分は「カキコ@選挙」アップと同時に公表した。
公示前の多忙な時期にもかかわらず、これほどの回答が返ってくるとは長谷川が予想した以上の成果だった。やはり新聞やテレビで取り上げられたことは回答を促す効果があったと思われた。

各候補者ともアンケートの質問に誠実に回答しており、中でも二田孝治候補はA4版用紙7枚以上に当たる文章量で質問に答えていた。自分たちが政治家に無視されることを恐れていたのに、その政治家たちから真摯な回答が寄せられたことは長谷川や奈良たちを感激させた。

ウェブ選挙には「若者の政治参加をうながす」という狙いがあった。これに関連する「若年層の政治離れについてどうお考えですか?」という質問に対しては、若者の方に問題があるという回答は皆無で、各候補者とも政治や社会の仕組みに問題があると答えていた。

例えば、次のように。
「政治へ若者がアクセス不能の状態が政治離れを引き起こしている。特定の団体のものから、政治を引きはなし、インターネットなどで双方向交換がはかれる仕組みが必要だ」(笹山登生候補)
「政治家の側は日頃の後援会活動などの忙しさにかまけて勉強不足になりがちで、またいろいろなしがらみから抜けきれない、あるいは世の中の動きにリアルタイムで追いつけない傾向があるのではと思います。こういう現実を若年層は敏感に感じ取り、政治を古くて胡散臭いものと見なし、前に進むダイナミックな対象と見なくなり、投票にも行く気がしない、バカらしくて興味が沸かないということになるのではないかと思います。」(二田孝治候補)

工藤富裕候補の回答は他の候補者とは違いフランクな口調で書かれていた。
「政治離れは良くないことに決まってるぜ、しかし、政治に関心がなければ、誰が一番得をするか考えたらどうだい?今の支配者層は国民に政治に対して関心を持たせないよう努力しているんだぜ、考えてみろよ。東大閥の官僚、政治家、財界、マスコミ皆、グルになって情報操作をしているんだぜ、無関心にさせれば、させるほど連中の思うツボだと思うよ。」
共産党の3候補は共通して、「長年にわたった自民党中心の政治が汚職・腐敗のみならず、公約違反の離合集散をくりかえしてきたことが加速させている。」(今川和信候補)という回答のように、長く政権を担当した自民党の責任を指摘していた。

イーストベガス構想の出発点になった秋田県の人口流出(特に若年層)の原因については、「農業などの産業が衰退し、仕事・職場がない」という点、「地域に魅力がない」という点を挙げる回答がほとんどだった。
「自民党政治のもとで農業、商工業などの地場産業の衰退で、働く場がなくなっていること。」(菊地時子候補)
「農業が衰退していること、民間の有力企業がすくないこと、おもしろくないことが原因と思います。」(中島達郎候補)
「秋田には働く場所がない。米生産中心の農業経済の将来計画が描けていない。」(船川克夫候補)

人口流出問題の解決策としては、次のような考えが示された。
「この解決策は、地元の企業を育て、就職先を増やす事が一番の課題です。そのためには秋田と中央の情報や技術の差をなくし、産業の基盤整備をしていく事が大事だと思います。」(佐藤敬夫候補)
「これまでの発想を変え県内の人、技術、自然資源、地理的条件を見直し、これらを活用することで他県とは異なる県づくりが必要と考えます。」(畠山健治郎候補)
「国・県も含めて、予算の使い方を、地場産業の育成や県内にバランスよく、都市機能を持った市街地の形成など地方の総合的振興策を応援できるものに変えていく必要がある。」(和賀正雄候補)

6月14日、ABS秋田放送は夕方のローカルニュース枠「プラスワン秋田」の中で「特集!衆院選2000 カキコ@選挙」のタイトルでトトカルチョマッチョマンズのウェブ選挙の試みを紹介した。

この頃、選挙に関する自由な議論を行うために設置したカキコ@選挙のBBS(ウェブ掲示版)では、予想もしないことが起こっていた。
選挙違反を防ぐ目的でトトカルチョマッチョマンズは長谷川、奈良、安田琢、進藤岳史、伊藤修身の5人からなるBBS監視隊を組織した。監視隊の任務はBBSへの書き込みを24時間体制でチェックすることである。特定候補への投票の呼びかけや候補者への誹謗中傷が書き込まれた場合は即座に削除するためだ。奈良は、BBSに書き込まれた内容をBBS監視隊のメンバーにメール配信するシステムを作った。

しかし、「カキコ@選挙」がアップされた当初から、設置されたBBSは荒れた。荒らしの内容は候補者への誹謗中傷ではなく、ウェブ選挙を企画し立ち上げた長谷川敦個人やトトカルチョマッチョマンズに対する攻撃だった。
「敦、またデルワナワンガーで飲んでるんだべ」
そんな冗談半分の書き込みは想定の範囲内だったが、もっと攻撃的な言葉が頻繁に書き込まれた。それらの書き込みはウェブ選挙への敵意を露わにしていた。

「何をくだらないことやってるんだ、ガキども!」
「長谷川敦が選挙に出たくてこんなことやってるんだろう」
「売名行為はやめろ」
「イイカッコしたって現実は何も変わらないぞ、あきらめて酒でも飲んでろ」
それまでも、トトカルチョマッチョマンズの活動の中でイーストベガス構想を笑うような態度や、正面から構想に反対する反応は何度も経験していたが、BBSを荒らした書き込みはそれらとまったく違っていた。
攻撃的な書き込みは執拗で悪意がこもっており、ウェブ選挙自体をつぶそうとする意図が感じられた。ホームページへのアクセス経路を解析するとそれら悪意ある書き込みは東京から行われたものが多かった。

なぜ東京からこんな書き込みが大量に来るんだ?
BBS本来の趣旨と異なる攻撃的な書き込みをその都度削除しながら、政治と選挙にからむ底知れぬ闇をのぞいたような気がして、長谷川たちは心が折れそうになった。
6月15日は長谷川の27歳の誕生日だった。仲間たちからお祝いの言葉をもらいながらも長谷川の心は晴れなかった。それでも、彼を絶望の一歩手前で踏みとどまらせたのは、BBSへのまともな書き込みだった。

「候補者は若者なんて浮動票とみて、相手にもしていない。こんな考えだから全体の中にまぶしたような政策しか出てこず、直接的に若者に訴えていくということがないのだと思う。」(20代男)
「少子・高齢化問題、教育問題の対策も同じで、飛び抜けてこれ、というのが無いような気がします。若者であり女性でもある私の心に響く政策がほし~い!」(20代女)
「若者に本当に政治、選挙に興味を持ってもらいたいの?選挙離れが重要な問題だと言っている割には対策を書いてくれている人っていないんじゃないの?」(20代女)

これらの書き込みは、荒れたBBSの中での清涼剤だった。選挙に関する自由な意見交換というBBS本来の目的がわずかでも実現しているのを確認でき、長谷川はなんとか気持ちを持ち直すことができた。

投票日を1週間後に控えた6月18日、秋田魁新報・朝刊21面の3分の1近いスペースを使った「若者たちの『電脳選挙』」という記事が掲載された。
「二十五日投票の衆院選まであと一週間。各陣営は選挙区内を駆け回って支持を呼びかけている。そんな喧騒(けんそう)をよそに、候補者からのアンケート回答を基にして、候補者の姿勢や秋田の今後の在り方について議論しようと呼びかけているホームページ(HP)が、静かに熱を帯びつつある。ここに集い、意見を交わす若者たちには、街頭演説を聴いて候補者に手を振るだけが選挙だという感覚はない。若い有権者が候補者たちへの意見を電子掲示板上でぶつける『電脳選挙』。二十一世紀型選挙の幕開けといえば、おおげさだろうか。」

記事はこのような冒頭の文章に始まり、トトカルチョマッチョマンズのウェブ選挙の内容、BBSの書き込み内容などを紹介した後、次のことばで締められていた。
「選挙のたびに『浮動票』とくくられる若い層が、遊び場だった電脳空間を活用し、目的意識を持って動き始めた。」

6月25日、ウェブ選挙の構築と運営に徹夜を続けてきた長谷川たちは第42回衆議院選挙の投票日を迎えた。長谷川は、なんとかこの日を迎えたことに安堵しながらも、その胸にはどきどきするような期待と不安があった。遣流山視察団に出かける前夜、仲間たちに送ったメールで書いたように、自分たちの試みが政治と選挙に何らかの影響を与えることができるのだろうか。

その日の夜8時、テレビでは開票速報が始まった。秋田2区と3区では、放送開始後すぐに当確が打たれた。当確が付いたのは、それぞれの区でウェブ選挙のアンケートに回答しなかった唯一の候補者、野呂田芳生候補者と村岡兼造候補者だった。
秋田1区では、二田孝治候補と佐藤敬夫候補が最後まで接戦を続けたが、結局、二田孝治候補が当選し、佐藤敬夫候補は東北比例で復活した。東北比例では、秋田県内からもう一人、御法川英文候補が当選を決めた。全県の投票率は前回比2.83ポイント上昇の70.13%だった。

これらの選挙結果は、選挙終了後に公表したカキコ@選挙のウェブ投票結果と大きくかけ離れていた。合計183票の投票を得たウェブ投票では、1区は佐藤敬夫候補が全候補者中最高の49票を集めトップだった。2区では、工藤富裕候補が17票でトップ、3区では、僅差ながら中島達郎候補が12票でトップだった。

長谷川敦はテレビの投票結果を追いながら極度の脱力感にとらわれていた。
確かに、ウェブ選挙をやることで報道機関にはトトカルチョマッチョマンズが大きく採り上げられた。地元紙、全国紙の秋田版、地元のテレビ放送局、そのほとんどがウェブ選挙を伝え、自分たちの目的と行動は地域社会にかなり浸透したはずだ。心配していた候補者からのアンケート回答も12名中10名から真面目な返事をもらうという成果と上げた。

しかし、それらは選挙結果に何の影響も与えなかった。アンケートに回答しなかった候補者2名は大差で当選。ウェブ投票トップの候補者は小選挙区では当選できなかった。投票率が大きく上がったわけでもない。ウェブの力で現実の政治に風穴を開けると意気込み、何日も寝ないで取り組んだのに、結局、組織選挙を行う古い政治体質にはまったく手を触れることができなかった。長谷川は、その古い体質を崩さなければイーストベガスを実現することができないと考えていた。

わずかに残った希望はアンケートの2部、イーストベガス構想などに関する質問への回答だった。
共産党の3候補者はトトカルチョマッチョマンズやイーストベガス構想に関する質問に回答しなかったが、ほかの候補者たちは回答を寄せた。若者たちへのリップサービスもあったのかも知れないが、それらの回答は概してトトカルチョマッチョマンズの活動やイーストベガス構想に好意的だった。
トトカルチョマッチョマンズの存在と活動についての回答。
「貴グループの活動については、秋田での新しい若者グループの動きとして大いに歓迎し、期待しております。」(佐藤敬夫候補)
「なかなか面白い若者の集団だと感じます。『トトカルチョマッチョマンズ』のような集団がもっともっとふえることを期待します。」(中島達郎候補)

イーストベガス構想についても回答はおしなべて肯定的だった。
「着想には賛成です。」「優先順位としての約束はできないが協力することについては吝かではない。」(船川克夫候補)
「よい考えだと思う。ヤミの賭博場があるんだから、正式につくればよい。」(工藤富裕候補)
「従来の発想にとらわれない一つの構想と受け止めるとともに、同構想が県内の諸資源の見直し・活用と十分結びつくものであるように期待します。」(畠山健治郎候補)

トトカルチョマッチョマンズは、これらアンケート2部の回答内容を選挙終了後、カキコ@選挙にアップした。

(続く)