特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第3章「構想」 3.反応

雄和町は雄物川の下流域にある。町役場近くに架かる水沢橋の辺りで、雄物川の幅は優に100メートルを超える。冬が終わろうとする時期、川は雪解け水を集め流量を増していた。水沢橋から続く堤防の横に、その店、サラダ館はあった。

客たちが「おかあさん」と呼ぶ女主人が一人でやっているサラダ館、正式に言うと「カフェテラス&居酒屋サラダ館」は、雄和町の中で数少ない酒を飲める店であり、長谷川敦と友人達が何かにつけて集まる場所だった。田んぼの雪もかなり溶け、地肌が見え始めていた3月中旬の夜、長谷川敦は友人たち十数人とサラダ館に来ていた。この友人たちとは雄和中学校以来の付き合いだ。

中学校時代、長谷川は学年のリーダー的存在だった。みんなの前で派手な行動をする訳ではなかったが、ボキャブラリー豊富で話が面白い事もあって、長谷川の周りには人が集まった。学校での役割としては、伊藤敬と対照的な立ち位置にいた。伊藤敬は前に出るタイプであり、先生や友達にあだ名を付けるなど目立ちたがり屋の面があった。それに対して長谷川は一見茫洋とした感じでありながら、不思議に不良タイプの同級生からも慕われ、先輩たちからも一目置かれる雰囲気があった。周りからは、一歩引いた立場からみんなに影響力を及ぼす「フィクサー・タイプ」とみられていた。

もともと一学年で2クラスしかない雄和中では学年全部が同級生のようなものだったが、その中でも長谷川を中心にした特に仲が良いグループがあった。そのグループは、休日には良く一緒にどこかに遊びに出かけた。花火大会の夜に秋田市まで自転車に乗って花火を見に行ったこともあったし、大森山動物園へ行きみんなで動物たちの写生をするという企画を実行したこともあった。平日の放課後も、夜中に各自の家を抜け出し誰かの家の納屋に集まって夜が更けるまでたむろしたり、あまり健全とは言えない遊び方もしていた。親達はそんな子供たちの行動を知りつつも、そんなに悪い事はしないだろうという信頼があったのか、咎める事をしなかった。

そんな付き合いは中学校卒業後も続き、今に至るまでそのグループはしょっちゅう集り、ここ数年は集まれば必ずと言っていいほど飲んでいた。
今夜、サラダ館に集まったのは高校卒業後も地元に残った友人たちであり、その中にはグループのコアとなるメンバー、伊藤敬、斎藤美奈子、鈴木美咲、渡辺美樹子、加藤のり子、そして長谷川敦の顔があった。長谷川、美樹子、のり子は大学生で、他は地元の企業で働いていた。みんな22歳だった。

気の置けない仲間とのいつもの飲み会であったが、今夜の長谷川には目的があった。イーストベガス構想、それを話したくてうずうずしていたのだ。秋田を魅力ある土地に造り替えるドリーム・プロジェクト、それを思いついた興奮は長谷川の中で続いていた。この前、美由紀に構想を話した時は、彼女のぽかんとした態度にいささかがっくりきたが、自分が創り出した起死回生のアイデアを誰かに伝えたい気持ちは、依然としてふつふつとたぎっていた。特に、今夜、サラダ館に来ている友人たちは、構想を実現するため一緒に力を尽くしてくれるはずの顔ぶれだった。

サラダ館の畳の間で、長谷川たちはビールや酒、そして「おかあさん」の手料理の載ったテーブルを囲んでいた。誰もが飲みながら近くの友人と気ままにおしゃべりをしている中、長谷川はみんなの席を回り始めた。

「この前、ラスベガスに行って来たんだよ。」
長谷川は、友人にビールを注ぎながら語りかけた。
「どういう所だった?」
興味ありげに訊く言葉を待っていたように、長谷川はたたみかけた。
「いやー、びっくりした。すごいんだ。」
「何がすごいの?」
「あっち見れば、スフィンクスがいてピラミッドがあるし、こっち見れば古代ローマの宮殿はあるし、歩いているだけで世界旅行が出来るんだ。夜になれば大きな池の中の火山から火を噴くんだ。本物の火だよ。」
長谷川はみんなにラスベガスで受けた衝撃の大きさを話して回った。そして、ラスベガスの凄さを説明した後に、こう締めくくった。
「だからよ、俺は考えたんだ。秋田にラスベガスを作る。」

しかし、自分では決めゼリフのつもりで言ったその言葉に対して、友人たちはほとんど無反応だった。アイデアに賛成する言葉が無いだけでなく、ほとんど何の言葉も返ってこない。誰もが「何を言ってるんだろう」という顔をしていた。
長谷川は心配になってきた。自分の考えがまったく伝わっていないのじゃないか。少なくとも、誰も自分の昂ぶる気持ちに共感していない。それでも長谷川は、次々に席を移りながら友人たちに同じ話を説いて回った。

相手の反応の無さにめげそうになっていた長谷川だったが、次に話す相手が伊藤敬だと気づくと少し気を取り直した。伊藤敬は、高校卒業後に就職のために名古屋へ行き、勤め先の会社が秋田に関連会社を作ることになったため、約1年前に雄和町に戻って来ていた。
この前のあゆかわのぼるの講演を一緒に聞き、その後も夜更けまで飲みながら秋田をどう変えようかと話し合った敬なら、秋田の未来に対する危機感を分かってくれるはずだし、「構想」のもつ価値にも気づくはずだ。

「いやー、敬、ラスベガスは衝撃だった。」
伊藤敬の持つグラスにビールを注ぎながら、長谷川は言った。
「そんなに衝撃だった?」
返って来た敬の言葉に勢いを得て、長谷川を続けた。
「そう、衝撃。何が衝撃ってさ、とにかく来た人を楽しませることしか考えてないんだ。ラスベガスは。」
痩せぎすの体型の敬は興味がありそうに眼をぎょろつかせてビールを飲んでいる。長谷川は続けた。
「だから世界中から人が集まってきてるんだ、ラスベガスには。それだけ人を惹きつける力があるんだ。」

長谷川の中で、少しずつ期待が高まっていた。あの晩、秋田をどう変えるか一緒に考えた伊藤敬だから、その街に世界中から人が集まるという意味を分かってくれるはずだ。ここで、例の決めゼリフを言うべきだ。
「敬、秋田にラスベガスを作るぞ。」
返って来たのはごく冷静な疑問だった。
「そんなことできるの?」
伊藤敬は言葉を続けた。
「ラスベガスってカジノの街でしょう。カジノって事は、つまりギャンブルでしょう。そんなの、日本じゃ出来ねーべ。」

至極もっともな疑問だ。だが、長谷川はこんな単純な理由で自分の画期的なアイデアを引っ込めるつもりはなかった。
「日本でギャンブルが出来ないっていうのは、そういう法律があるからだろう。だったら法律を変えればいいじゃん。」
「法律を変えるって、その方法があるの?」
「法律ってよ、人間が作ったものだろ。だったら人間が変えることが出来るべ。」
「それはそうだけど、俺たちにその手段があるの?具体的なプランを持ってるの?」

伊藤敬は次々に疑問を返してきた。しかし、長谷川はその疑問に力を得ていた。話が噛み合っている、長谷川はそう感じた。他の友人たちのあいまいな反応とは違って、伊藤敬は自分のアイデアを理解した上で反論している。敬の指摘は本質的なものだったが、それは長谷川もすでに気づいている「構想」の問題点だった。今は、その問題点に対して具体的な解決案がある訳じゃないが、長谷川は乗り越えられると思っていた。

「プランは、これから考える。」
長谷川は敬の持つグラスにまたビールを注ぎながら言った。
「俺は本当に作るつもりだから。敬、手伝ってくれ。」
長谷川はそう言って、伊藤敬とのやり取りを打ち切った。

次ぎに長谷川が向かったのは、斎藤美奈子、鈴木美咲、渡辺美樹子、加藤のり子らがいる席だった。出会った時は中学生だった美奈子や美咲たちも、今は大人の女性になっていた。秋田美人たちのいるその辺りには幾分華やいだ雰囲気があった。
長谷川は女性陣のおしゃべりの輪の中に入っていった。友人たちと酒を飲み交わしながら構想を説いて回って、もうだいぶ酔いが回っていた。

「美奈子、すっかりOLっぽくなって。」
長谷川は、目の前にいる斎藤美奈子に冗談口調で言いながら、ビールを注いだ。彼女は短大を卒業した後、秋田市の事務機器会社で働いていた。
「何言ってるの」
美奈子も笑いながら返した。長谷川は女性たちの顔を見回しながら言った。
「そうそう、誰もラスベガスって行ったことないよな。俺、行って来たんだよ。」
「あ、聞いたよ、美由紀から。面白かったってね。」
長谷川はこれまで話してきた土産話を、ここでも飽かずに繰り返した。
「面白いなんてもんじゃねーんだよ。最高、面白い。世界中からみんな遊びに来てるんだから。カジノがあって、カジノだけじゃないんだ。ショーもあるしショッピングモールもあるし、トータルエンターテイメントなんだ。」

話はイーストベガス構想に繋がっていった。
「俺はよ、秋田をラスベガスみたいに人が集まる所にしたい。高校卒業の時に友達がみんな出て行って寂しくなっちゃっただろう。今の秋田は、働く所もないし遊ぶ所もないから、若い人がどんどん外に出て行くんだ。ラスベガスは反対に世界中から人が集まってくるんだ。人が集まるから職場も出来るし、ますます賑やかな街になるんだ。」
長谷川は女性たちの顔をもう一度見て言った。
「んだからよ、雄和にラスベガスを作るで。秋田を面白くしよう。手伝って欲しいんだ。」

多くの友人たちと同様に、話を聞いていた女性陣からも目立った反応はなかった。美咲は言っている内容がよく分からないふうだったし、美樹子も黙ったままだ。少しして、やっと斎藤美奈子が口を開いた。
「よく分からないけど、長谷川がやりたいんだったら応援するよ。手伝うよ。当たり前だべ。」
構想を聞いた友人たちの中で、応援すると言ってくれたのは美奈子が初めてだった。その言葉はうれしかった。
「おお、ありがとう、美奈子。頼む。」
長谷川は美奈子にそう言ってから、輪の中で黙っていた加藤のり子に話しかけた。
「のり子も頼む。面白いことしようぜ。」

しかし、のり子の反応は他の誰とも違っていた。
「いやだ。」
そう、のり子は言った。大声ではなかったが、強い語調だった。長谷川は意外な言葉に、思わず聞き返した。
「何がいやだって。」
長谷川の問いにのり子は言葉を継いだ。表情は真剣だった。
「このままでいいじゃない。なんでこのままじゃ駄目なの。雄和にそんな知らない人がいっぱいくるなんていやだ。」
長谷川も応じた。
「このままだと、雄和も秋田県も、ますます寂れていっちゃうべ。そのうち誰もいなくなってしまうって。これからの秋田にはラスベガスみたいな人を呼び寄せる力が必要なんだよ。」
そう言う長谷川に、のり子は反論を続けた。まったく引く気配がなかった。

「そんなのいや。雄和は自然が豊かで、その中で心のきれいな人たちが住んでいるんじゃない。ラスベガスみたいな街が出来て、外から人がいっぱい来たら、そうじゃなくなっちゃう。みんなの心も汚れて、都会みたいな冷たい所になっちゃう。」
言い続けるのり子の目から涙があふれ、左右の頬を伝わって流れた。予想だにしないのり子の様子に、長谷川はたじろいだ。
「反対。絶対反対。」
のり子は頬を流れる涙を拭いもせず、そう言い切った。そこまで言われて、長谷川にのり子を説き伏せる意欲が失せた。その夜のイーストベガス構想についての話は、それで終わりとなった。

長谷川敦は最初にいた席に戻り、ひとり飲みながらみんなとのやり取りを振り返った。口にするビールはいささかほろ苦い後味だった。
構想に対する友人たちの反応は、大体において、この前の美由紀と同じだ。こちらの話している内容が全然ぴんときていない。少し話が噛み合った伊藤敬もいろいろな疑問をぶつけてくるだけで、賛成することはなかった。
美奈子の「応援するよ」という言葉はうれしかったが、その美奈子にしても構想の内容をちゃんと理解して賛成してくれた訳ではない。いつもの遊び仲間が何かやりたいと言い出したから手伝うと言っているに過ぎない。
この夜、イーストベガス構想に対する自分の意見をはっきり言ったのは加藤のり子ただ一人であり、それは泣きながらの拒絶の言葉だった。