特定非営利活動法人
イーストベガス推進協議会

第2章「現実」 4.議論

「えー、あゆかわのぼる先生、ご講演、ありがとうございました。」

再び司会の席に立った浦山勇人の声で、長谷川敦は我に返った。
「それでは、本日、大変有意義なご講演をしていただいたあゆかわ先生に、改めて感謝の気持ちを込めて拍手をお贈りしたいと思います。」
約10人の聴衆は、浦山の言葉に応じてパチパチと拍手をした。

浦山は続けた。
「この後、懇親会を予定しています。懇親会にはあゆかわ先生もご出席されますので、どうぞ皆さん、ご参加ください。」

秋田において、懇親会とは会議や講演の後に設けられる酒席を意味する。秋田で懇親を深めるためには、何を措いても酒盛りは欠かせないものだ。浦山が案内した懇親会の会場は、改善センターからほど近い「さんぽ」という焼き鳥屋だった。懇親会には、講師のあゆかわのぼると、長谷川敦、伊藤敬を含む聴衆の若者のほとんどが加わった。焼き鳥屋の座敷で一同はあゆかわを囲むように座った。

長谷川敦はあゆかわのぼるのすぐ近くの席に座った。あゆかわに聞きたい事、言いたいことが山ほどあった。あゆかわの講演には、自身の体験に基づく具体性があり、地域社会の現実を知る者が持つ説得力があり、確かに「なるほどな」と思わせられるものだった。しかし、その一方で、長谷川には秋田の悪いところばかりを言いつのるようなあゆかわへの反発があった。

講師への感謝の言葉、乾杯など型どおりの儀式に続いて、焼き鳥の煙と臭いが漂う部屋の中で酒盛りが始まった。
長谷川はあゆかわが持つ杯に日本酒を注ぎながら、心にある疑問をそのままぶつけた。
「あゆかわさん、本当に、関西まで震災のボランティアに行って来た人に周りから『売名行為』とかって言ったんですか。」
あゆかわが敢えて事実に反する事を言う訳がないと分かってはいたが、それでも問い質したくなるほど、その話は信じ難かった。震災ボランティアの話ばかりではない。町の委員就任を引き受けた時に名前を呼び捨てにされた話や、観光地のホテルで理不尽に車を移動しろと言われた話など、長谷川は、いちいちそれが事実だったのか確かめずにはいられなかった。

矢継ぎ早に質問を投げかける長谷川に対して、その都度、あゆかわの答えは同じだった。それらは全て事実だった。全て、この秋田という社会で実際に起きた出来事なのだ。あゆかわの答えを確認すると長谷川はしばし沈黙した。

現状を良しとしてそこに安住し、自らの保身と利益だけを考えている大人達。秋田にいる大人達はそんな人ばかりなのだろうか。受け入れがたい現実だった。

「あゆかわさん、あゆかわさんが言った秋田は昔豊かだったという話ですけど、…でも今は貧しい。なして(なぜ)、そうなったんですか。」
沈黙している長谷川の横で、一人の若者がそう尋ねた。それは長谷川も聞こうと思っていたことだった。鉱物、木材、米、…秋田がその豊かな資源を活かしていろいろな産業を伸ばし、経済を発展させていたら、自分が高校卒業の時に経験したように友達がみんなこの地を去るような、そんな事にはならなかっただろう。しかも、それは可能な事だったはずだ。不可能な事なんかじゃない。日本の他のどこよりも豊かな地域、それはもしかすれば、今、目の前で実現していたかも知れない秋田の姿だった。ただ、長谷川はその問いに対する答を既にあゆかわの口から聞いていると感じていた。

怠け過ぎたのだ。秋田の人間は、自然がもたらす一次産品の豊かさをいいことに、それを加工したり、関連する産業を興したり、新たな挑戦をすることを怠ったのだ。
「せやみこぎ」。面倒くさがりで消極的な県民性を示す言葉を、長谷川は心の中で言った。そんな方言があることが無性に忌々しかった。
しかし同時に、いつまでもそんな悔しさにとらわれている訳にはいかない事も分かっていた。そんなことでは、自分もせやみこぎの一人にとどまってしまう。

「あゆかわさん、どうすれば、この秋田を変えられるんですか。」
長谷川敦は再び質問した。別の若者も言った。
「誰が変えるんだすべ。」
あゆかわのぼるは、注がれた日本酒を静かに飲みながら黙して語らなかった。しかし、その場にいる誰もが、あゆかわが言いたい事を知っているような気がしていた。

この秋田を変える者がいるとしたら、それはこれから社会に出て行こうとしている若い君たちだ。自分が住む土地をどういう形に変えるのか、それをどうやって実行するかは、君たちが自分自身で考えるしかない。
もし、あゆかわのぼるが口にするとしたら、その言葉以外にはなかった。

このままではいけない。
あゆかわを囲んで酒を酌み交わしている若者たちは、同じ雄和町に住み年齢も近く、お互い顔見知りだった。その若者たちが、今、考えてることは同じだった。それまでも、秋田は全国で最も速いスピードで人口が減少し、高齢化が進んでいるという話を聞いていたし、地域の将来に明るい展望が見いだせないとも感じていた。今日、あゆかわの講演を聞いて、それは自分たちにとってもっと切実な問題であり、自ら取り組まなければならない問題だと気づかされた。秋田は今、良くない方に向かっている。その方向を変えるにはどうすればいいのか。

酒が進むにつれて、次第に若者達の口も滑らかになっていった。
「雄和に下水を引こう。」
唐突に一人の若者が言った。地域のあり方をどうやって変えるのか。それが彼なりの答えだった。雄和町にはまだ下水が設置されていなかった。ほかの若者たちも、それぞれ思いついた考えを口にした。
「来年、秋田に新幹線が来る。雄和町には空港がある。秋田駅から空港まで、モノレールで繋いだらいいんでねぇが。東京にも羽田までモノレールあるし。」
「秋田空港の滑走路をもう1本増やしたら。」
「それより、滑走路を今の2500メートルから3000メートルに伸ばす方がいい。そうすれば、アメリカでもヨーロッパでも、もっと遠くまで飛行機を飛ばせる。」
「秋田には遊ぶ所ねぇからさ、おっきなディスコ作ろうぜ。ジュリアナ秋田だ。」
「雄和にはまだちゃんとした温泉ないし、温泉掘って、人を集めよう。」
「アメリカのシリコンバレーみたいによぅ、世界中からIT企業を集めたら。空港の隣あたりに。シリコンマウンテンって名前つけて。」

どれもが決定力に欠けた。温泉を掘るという案は、既にあゆかわが講演の中でダメと言ったアイデアだったし、その他の意見も秋田を変える決め手とは思われなかった。と言って、長谷川にも何か決定的なアイデアがある訳ではない。

「こうなったら、やっぱり関所を復活させるしかないな。青森県境の矢立峠とか、岩手との境の仙岩峠とか、県境に全部関所を作って、秋田から人が出ていかないようにするべ。」
「特に秋田美人はだめ。絶対に秋田から出さない。」
「どうやって美人かそうでないか判定するの。」
「あ、俺、その係やる。」
酔いにまかせて皆が好き勝手なことを言い出し、議論から論理性と現実性が失われてきた頃、浦山が改まった声で言葉を発した。
「えー、宴もたけなわではありますが、この辺で中締めにしたいと思います。」

秋田において、中締め(なかじめ)とは宴の終わりを意味する。単に締めと言わないで中という語を加えるのは、これが本当の終わりではなく仮の終わりであり、飲みたい人はもっと飲んでいても構わないというニュアンスが込められている。この日の中締めは、言葉本来の意味での中締めとなった。
長谷川たち若者は、焼き鳥屋「さんぽ」から出てあゆかわや浦山と別れた後、さらに秋田市の飲み屋街、川反(かわばた)まで遠出し、飲み続けた。
秋田をどうやって変えるのか。その答は、きっとどこかにあるはずだ。長谷川敦はみんなともっと語って、その答えを追い求めたかった。